自分の感覚を信じること
このところ 託児の時間、もんもんとしていました。
のばらちゃんは とても頭のいい、でもやりにくい子どもです。
こちらが 叱ろうかどうか、すれすれのところを狙って来ます。
叱った時には 彼女なりの反論がかえってきます。
それを真に受けると 自分がとてつもなく理不尽であるかのように感じます。
ここで 叱ろうか 黙って見守ろうか..常に迷う。
叱ることが正しいかどうかはわかりません。
一方で黙っていても 内心は はらはらしたり イライラしたりしています。
そして あるとき爆発して ガツンと怒ってしまいます。
今日もささいなことでガツンと怒りました。
彼女は外遊びの間ずっと(約1時間)庭になっている「ゆすら梅」を食べ続けた。
注意しようかどうか 迷っている間に来客があり お昼になりました。
昼食の支度のあいだ うちの息子と二人で隠れていました。
見に行ってみると 部屋には ゆすら梅がちらばり
食べかすの種が飛び散っていた。
カーッとした私は「ご飯前に食べ続けて何だ!今日はごはん抜き!」と言った。
衝動的に言いました。
彼女はクールに「じゃあ のばらは ごはんを食べない」と言った。
そのまま 用意したばかりのごはんを片付けました。
息子は泣いて謝り、息子は一人でごはんを食べた。
私はたまたま断食の日でした。
のばらちゃんと同じ部屋で つくろいものをしました。
食事の時間が終わるまで 彼女は遊び
それが終わったら私は静かに片付けて
はみがきして トイレ行って おふとんの部屋で寝かしつけました。
ガミガミ怒るのは好ましくないかもしれない。
だけど 「イヤだな」と思うことを見過ごすと イライラすることがわかってきました。
理屈通りであろうとなかろうと 自分の感覚には正直になった方が いいかもしれない。....どうなのか....
Edited by じゅんか 2006-07-25 01:24:38
Last Modified 2022-01-24 08:04:17
コメント
子どもと向き合うのは、ほんまに難しいことなんやね・・・
でもやっぱり大人である限りは、自分がどうか、じゃなくて、子どもにとってどうか、ということを常に考えなくちゃだしね。
そうやって子どもと向き合って悶々とすることこそ、成長しきった大人をこんどは成熟させていくプロセスなのかもしれないなぁ・・・なんて、読みながら思いました☆
でもやっぱり大人である限りは、自分がどうか、じゃなくて、子どもにとってどうか、ということを常に考えなくちゃだしね。
そうやって子どもと向き合って悶々とすることこそ、成長しきった大人をこんどは成熟させていくプロセスなのかもしれないなぁ・・・なんて、読みながら思いました☆
投稿者:アコリョーシカ|2006-07-25 05:45:42
本当に毎日もんもんとしています。
今この私の怒りは 単なるエゴの発露なのか
それとも.....
「本当に大切なことは 何か?」
毎日お題が出るようなものです。
親とか 先生とか すごいよ。どんな家庭でも 悩まない家庭はないと思います。
今この私の怒りは 単なるエゴの発露なのか
それとも.....
「本当に大切なことは 何か?」
毎日お題が出るようなものです。
親とか 先生とか すごいよ。どんな家庭でも 悩まない家庭はないと思います。
投稿者:じゅんか|2006-07-25 07:12:31
毎日ご苦労さんですね。
読ましてもらってのハブさんの勝手な思いを書かせてくださいね。
私であれば、何かを食べ続けている子がいれば、注意をしないで黙って取り上げてしまいます。
そのことで、抵抗があれば、それをしてほしくないという私の思いを伝えます。
子どもたちは泣くと思います。
そのことは認めようと思います。
「いっぱい泣いていいからね。でも今食べる事をしてほしくないんだよ。」とね。
お話で伝えるのも、行為を否定する事と、その人そのものを否定する事を明確に分けるためだと私は思っています。
子どもたちは(私もそうですが)何かを拒否されると、その事柄だけでなく、自分自身のすべてを否定されたような気がするのだと思います。
そして、その悔しさを感情を出す事で調節してるのだと思います。それを認めてやることが、「抱っこ法」なのだと私は思っています。
シュタイナーで私が一番気にいっている事は、「子どもに学ぶ姿勢」です。
何か問題を起こしてくれたなら、それを解決する事より、その問題だと思っている私自身がそのことをどう考え、私自身がどうすればいいかを教えてくれると考えれるからだと思うのです。
それがチャイルドスタディなのだと思います。
じゅんかさんが毎日格闘してるのがまさにそれで、子どもたちがしてくれるさまざまなことは、すべてじゅんかさんの学びの材料であり、まさにこうして日記に書いてくれるのも、その学びであり、私なども読ませてもらったり、こうして思いを書かせてもらっているのも、ありがたい学びなのだと思いますよ。
じゅんかさんと子どもたちにありがとさんです。
読ましてもらってのハブさんの勝手な思いを書かせてくださいね。
私であれば、何かを食べ続けている子がいれば、注意をしないで黙って取り上げてしまいます。
そのことで、抵抗があれば、それをしてほしくないという私の思いを伝えます。
子どもたちは泣くと思います。
そのことは認めようと思います。
「いっぱい泣いていいからね。でも今食べる事をしてほしくないんだよ。」とね。
お話で伝えるのも、行為を否定する事と、その人そのものを否定する事を明確に分けるためだと私は思っています。
子どもたちは(私もそうですが)何かを拒否されると、その事柄だけでなく、自分自身のすべてを否定されたような気がするのだと思います。
そして、その悔しさを感情を出す事で調節してるのだと思います。それを認めてやることが、「抱っこ法」なのだと私は思っています。
シュタイナーで私が一番気にいっている事は、「子どもに学ぶ姿勢」です。
何か問題を起こしてくれたなら、それを解決する事より、その問題だと思っている私自身がそのことをどう考え、私自身がどうすればいいかを教えてくれると考えれるからだと思うのです。
それがチャイルドスタディなのだと思います。
じゅんかさんが毎日格闘してるのがまさにそれで、子どもたちがしてくれるさまざまなことは、すべてじゅんかさんの学びの材料であり、まさにこうして日記に書いてくれるのも、その学びであり、私なども読ませてもらったり、こうして思いを書かせてもらっているのも、ありがたい学びなのだと思いますよ。
じゅんかさんと子どもたちにありがとさんです。
投稿者:ハブさん|2006-07-25 08:02:34