備忘録//思い切る/宗凡先生
備忘録を兼ねています。興味のない方、ごめんなさい。スルーしてください。
今回最後に大きく報道されたことで、私は大きく反省しています。
堀宗凡先生について、ほかにも沢山ソースがあるのかと思ったらそうでもなくておそらくは記者さんも プロフィール等、どのように書くのか迷われただろうと思います。
そもそも 宗凡先生と知り合うきっかけになったのは 大濱さんが渡米を希望するにあたり、周囲から色々とアドバイスを受けたことから始まります。
大濱さんは ちやほやされたいとか、有名になりたいとか思っていたわけではありませんでしたが、実際には作りたい建築物の構想は大きいものでしたから、工期や予算を気にせず仕事がしたかったと思います。
でも多くの場合、ネームバリューのない大工にそのような仕事は回ってきませんね。何かの展示会等に出品して、受賞を狙うのも一つの手ではありますが、当時の伝統工芸界で、師匠のない人が何かを受賞するのは大変難しかったと思います。
やりたい仕事を極めるためには、本人が望まなくても「社会的に評価される」ことが必要でした。
アメリカの美術界/工芸界は 日本のそれとはまた違いますから、必ずしも師匠や派閥に属していなくても良かったようですが、それでもコネクションがあるか 本人に社交性があるかでなければ 有名になることはできない、と言われていました。
宗凡先生は 当時の文化人であり、社交界にさまざまな人脈をお持ちだったようでした。ですから 宗凡先生の推薦状?紹介状があれば アメリカでもやっていけるかもしれない、という判断であったように思います。
どなたの紹介であったのか 私は存じ上げないのですが、そのような流れから まず父親と大濱さんが 作品を持って玄路庵を訪れたのだと聞いています....。
果たして持って行った作品を見て 宗凡先生は「これは素晴らしい!」と言い、我が家訪問が決まったといいます....。
長くなるので続きます。
Edited by じゅんか 2018-11-04 06:52:59
Last Modified 2018-11-05 13:10:06