備忘録//宗凡先生2
備忘録を兼ねています。興味のない方、ごめんなさい。スルーしてください。
初めて宗凡先生にお会いしたのは 宗凡先生がカメラマンを連れて自宅に来てくださったときでした。
宗凡先生はよく茶人の方がかぶっている頭巾をかぶり、和服を着て来てくださいました。
今宗凡先生についてググると 「花守 堀宗凡」と出てくると思うのですが 周囲の皆さんは 宗凡先生を「茶人」と思っておられた気がします。
裏千家十四世・淡々斎に師事されていたようですし、長く裏千家におられたと聞いています。
通常 お茶席は 一期一会の心をもって、誠心誠意 掛け軸、お庭、お花、お道具、器、お菓子などを準備するのが常ではないかと思います。
ところが 宗凡先生はそこへ「BGM」「自身の衣装や化粧/装飾」などを取り入れていました。ですから 私がお茶会に出席した時も 菜種油の灯る真っ暗なお茶室の一隅にレコードプレイヤーが置いてあり、音楽が流れていました。
そして その時の宗凡先生の装いは 大きな帽子に大ぶりのイヤリング、アップにした髪にサングラス、そしてお化粧もされていました。
もっとも宗凡先生は線の細いすっきりした方で、そのような服装であっても上品なたたずまいでした。
他の出席者の皆さんも、外国人/芸術家風な人/学者のような人/普通のスーツの人が混じり、とても不思議な空間になっていました。
子どもだった私にはよくわかりませんでしたが、その時の話題が 能「山姥」についてだったように思います。
皆さん さらりと その内容をご存知のようで 何も知らない私はぽーっとしていました。「山姥」で使われる謡曲を宗凡先生が歌って?くださいました。
3度目にお会いしたホテルのショウも、広めの洋間に緋毛氈をしいて、お点前をしておられました。
緋毛氈はお客様のためのものではなくて....お点前をする宗凡先生のランウェイとして使われていました。
そうです。ショウとはいえど、お点前でした。
宗凡先生の核にあるのはやはり茶道ではなかったか、と思っています。
(BGMに使われていた曲/シルクロード)
確か「茶花遊心」(1987)の他にも著書があったように記憶しているのですが、残念ながら題名を失念しました....。
「梵」「宇宙」「UFO」と言った言葉の並んだ難しい手書きの書き物も沢山置いてありました。
ぱらぱらと著書をめくり、置いていた手書きの書き物も読んでみましたが、小学生の私には全然わかりませんでした。
宗凡先生は 俗世間の名誉とか何かを追わずに生きておられたと思いますし、今となっては肩書きを何とするのが適当なのかはわかりません。
きっと直弟子の皆さん方が 改めて何か記録を残してくださるのにも期待しつつ、私が知っている限りのことを述べてみました。
<
(宗凡先生が お亡くなりになったとき、アヴェ・マリアが葬送の曲だったそうです....。この曲であっているのかな...?)
Edited by じゅんか 2018-11-04 08:07:31
Last Modified 2025-06-04 13:33:13