見えない力
このごろ私はやけに感動するのだ、と書いた。
そう、 やけに感動する。
このごろ 音楽ネタが多い。
別段 私は音楽に詳しくもないし 凡人が何を言っているのかと笑ってもらいたい。
がしかし。
主旋律や 歌詞といったいわば 主役じゃない部分.....「伴奏」「アレンジ」に とても心を奪われる。
たとえば 竹内まりやが好きだと書いた。
この10数年聴いていなかったので、久々にCDを聴くと、重ねられた音が細かく聴こえてくる。
ああ、そうだった こんなところに サックスが聴こえている
コーラスが このタイミングで出る....。
間奏部分のギターが さりげなくかっこいい....とか 色々萌えてしまう。
そう思うと 作詞作曲が 竹内まりやだったとしても 編曲を担当する山下達郎の力がなければ そして バックバンド? スタジオミュージシャン?の力がなければ このアルバムはできなかったのだなーとか 色々考える。
よっけが 「残酷な天使のテーゼ」にハマっているので、
そういえば 昔々綾波ファンの友達にもらった 林原めぐみ版の「残酷な...」のCDを持っていたことに気づいた。
するとここでも 編曲にうっとりしてしまう。
ああ、ここで出てくるトランペットさん?トロンボーンさん?
ありがとう!素敵だよ!
と心の中でうなってしまう。
エヴァの場合は 作詞者も 作曲家も 番組の内容を知らないばかりか
お互い打ち合わせすることのないまま作られたようだ。
編曲した人は 全く脳内だけで これらを作るのだろうか。
それとも レコーディングの際に 各々のミュージシャンが アドリブを入れるのだろうか。
素人である私にはわからない。
もしも脳内だけで作られたにしても シンセサイザーがいかに発達していても 作る人 歌う人 演奏する人の力が全てそろっていて出来上がるのに、変わりはない。
いずれにせよ 多くのことがらに 私は感動し、敬意を表している。
いやはや もちろん こっそりと。
GAINAXの場合は op画像をやたらに作り込んで作っているから この曲の使われたテレビ版のオープニング映像は 曲の細やかな部分と画像のフラッシュカットのタイミングを細かくあわせていて それもツボの一つだった。
余談だが テレビ番組の主題歌になってヒットする曲の中には、
番組の内容に関係あるのかないのかわからない曲が使われる場合がある。
事務所に売り込まれたのかな、といらぬ推測をしてしまう。
そう思うと、番組の内容に沿った主題歌を作ることそのものが
多くの人の熱意の体現なのかもしれない。
ああ、今日も色んな音に感謝する。
この音を聴かせてくれてありがとう。
そのような気分である。
先日 私は日常は芸術である、というような日記を書いた。
気づかない力をもらっているのは 何も音楽からだけではない。
今年は少々ヒマだなあと感じる。
でも、実績は去年と変わらない。
どういうことかと思う。
じわじわと 私の周囲を取り巻く環境が 助けてくれているからである。
日々の業務は細かい積み重ねによって支えられている。
関わりのある業者さんが 担当する業務を淡々とこなしてくれていること
何気なく声をかけてくれる人がいること
子どもたちが 毎日元気でいること
心配性な夫が 何度も何度も確認する癖を持っていること。
私はバカだが、病気にならないこと
そんなわけで 同じ労力を使ってできることが じわじわと増えているらしいのでした。
日常の当たり前は なんと多くの人に支えられていることか。
少々ヒマだと思っていると 少々の雑事がやってくる。
しかしそれもまた 人生の彩りとなりそうだ。
来週はきっと ハードになる。
でも 乗り切れる。きっとね。
Edited by じゅんか 2012-11-09 00:29:35
Last Modified 2012-11-09 09:16:37