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2019-02-03材木屋ばなし//棟梁の名は残る。見えないところに。
もう書かないでおこうかな、と思うと、このシリーズの話題となったので....余談です。//過去記事についても 指摘をお受けした分については加筆修正している場合があります。修正依頼、補足の依頼などありましたらお知らせください。

写真はNorth Sea Houseの家の部材に書かれた浄竿さんの署名です。
大きく見てみます。

「京都/大濱光夫浄竿 昭和59年10月24日 処に足跡を記す 一隅を輝す」
と書かれているのが見えます。
ああ、そうなのか。テレビ映像「THE ART OF JOKAN」のテロップに、この英語訳が書いてありましたね....。
ところで 棟梁がこのような形で 見えない場所に署名することは珍しいことではありません。
私は小学生の頃、両親の書棚にある本を読むのが好きでした。
中でも「梅干しと日本刀」という本が大好きで 何度も何度も読みました。
この本、歴史学者の樋口清之という方が書いた本ですが、刀鍛冶の話やら、蓑とレインコートについての考察とか 読んでて楽しい話題が沢山のっていました。(30ウン年前の記憶なので怪しいですけども)
その中で 江戸時代以前の日本人の識字率についての記述があったかと思います。江戸時代以前の日本には 寺子屋しかなかったはずなのに、たぶん識字率は高かったのだろう、という推論でした。
その根拠はと言うと、士農工商で言えば 商人は大変身分が低かったはずなのに、大福帳と呼ばれる売掛帳は達筆な字で詳細に記録されていること、工人も同じく身分は高くないのに、伝統建築を修理などすると 見えない場所に 必ず 大変達筆な棟梁の署名等々が書かれていたことを挙げておられました。
というわけで 伝統建築の棟梁の皆さんにとっては このような署名は慣習としてあるのかもしれませんね。
この話をしたときに 父と笑って話しました。
江戸城を徳川家康が作った...と言っても、家康が作ったのではない。
大阪城を豊臣秀吉が作った...と言っても、秀吉が作ったのではない。
金閣寺を足利義満が作った....と言っても、やはり義満がつくったのではない。
歴史上に名を残さぬ それぞれの棟梁たちが作ったのです。
そうですね.....確かにそうです。
Edited by じゅんか 2019-02-03 15:16:02
Last Modified 2019-06-07 13:59:54