ごちそうの思い出/山菜
さて、ふと天から降ってくる ブログ更新タイム。
毎日美味しんぼを読んでいると、色々と思い出して来た。
ご馳走...というと 客人のために あちこっちを走り回って心をこめて 準備することをさすらしいけれども うちの次姉は 天然でそういう人である。
元々彼女は 懐石料理店の板場で板前として働いたことのある珍しい女性なのだけれども、それは長くなるのでここでは触れない。
ともかく 20年ほど前の彼女の暮らしはなかなかすごくて
水道のない家で暮らして 飲み水や生活に必要な水は わき水を汲んで暮らしていた。
し か も 天 秤 棒 を か つ い で
さらに鳥を50羽くらい飼って 小さいながらも家庭菜園もして、さらに仕事もしていた。
世間に色んな人はいるだろうけど、
私はこの姉のことを心の底から尊敬している。
こういう暮らしをしていた当時も 別段それを特別に思っている風でもなかった。
当時20代のうら若き女性であったのに。
前置きが長くなった。
こういう暮らしをしているときに、姉の家を何度か訪ねたことがある。
彼女の家の周りは自然豊かだったので 四季折々の山菜料理もよく食べた。
姉は山菜にも野草にも詳しくて また 働き者なので、こまめにおいしいものを集めてくる。
たんぽぽの葉やおおばこの葉っぱの天ぷらを初めて食べたのは姉の家だったかもしれない。
このごろの私は細かい理屈に食傷気味なので 玄米菜食家の集まりとか エコな集団とかから意識して距離をとっている。
別に皆さんが悪い訳ではない。
ただ 理屈はいま おなかいっぱいなのである。
ただ姉のつくる天ぷらはとてもおいしかった。
姉が帰りに渡してくれるわらびはいつも太さも長さもきちんとそろっていた。
山菜は皆そろった長さで生えているのではない。
わらび採りをしたことのある人ならわかると思うけれど
ぽきんと折れるポイントは決まっている。
あとで切りそろえられたものではない。
大体同じようなものを選んで採るのである。
義兄が採ってきてくれたものらしかったのだけれど、そういうことにしみじみと感動する。
いや 山菜採りに慣れている人にとっては 普通のことかもしれないのだけれど。
だとしても。
そう、今はたとえば 玄米菜食のナントカです。
と色々理屈の書かれたお店に行きたいとは思わない。
ところが 昔々食べた京都 美山町で食べた山菜料理は食べたい。
どれも美しく盛られており、どれも美味しかった。
床の間には 「紫式部」という紫色の木の実が飾られていた。
それもまたよかった。
理屈以前に ていねいに作られた食事はおいしい。
理屈以前に 美しいものは美しい。
そういうことを少し思った。
明日も頑張れるだろうか。
このようなわたしでも。
Edited by じゅんか 2014-01-03 19:23:53
Last Modified 2014-01-04 03:52:47