小野田寛郎さんがなくなられましたね
小野田寛郎さんがなくなられましたね。
わたくし恥ずかしながら 小野田さんがどのような方だったのか 存じ上げなかったのです。
昔々、ツービート時代のビートたけしが「横井庄一さん」のまねをしていました。
横井さんという人は 終戦後20数年間 グアムで生きていた日本兵の生き残りだと思うのですが、同じような「小野田さん」という人がいる、という話題が出たのです。
すると、私の両親は 「小野田さんと横井さんは全く違う立場の人だ。小野田さんは少尉で、何のために残っていたかが根本的に違う」とだけ言ったような気がします。
しかしそれ以上のことは知らないまま 私はすでに42歳ですよ。
それで 訃報を聞いた際に気になって、wikipediaを読んでみた。
うおー この人 なんてすごい人だ。
さらに画像を検索してみた。
「生き抜く」というNHK特集かな。
終戦後29年間も一人で戦っていたくらいだから どんなガチガチの人かと思ったらなんと頭のやわらかい人であるか。
この人、好きだな、と思って最後まで見た。
この人は17歳から貿易商をやり、22歳で招集されて以降、51歳までフィリピン ルバング島でゲリラ戦をして、裸一貫の53歳からブラジルで農地を10年かかって開拓して成功し、晩年は子ども向けの自然塾をしたり、執筆活動をしたりしながらも農夫も続けていた人で どのような話も面白い。
この時のインタビューで語っておられることは どんな時代にも通じるものがあるので、ぜひご覧ください。
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以前 私は戦争に関するブログを代行入力したことがある。
感想も少しだけ書いた。
戦争はない方がいいに決まっている。
だから反戦を叫ぶ人の気持ちもわかる。
しかしながら 私は反戦活動家の人と長く一緒にいることができない。
戦争が無い方がいいことはわかる。
だから その意味では 同志といえないこともないのに、自分でもよくわからない。
けれども 戦争当時者、といわれる人々や皇室を糾弾する気にならないからである。
実際問題、小野田さんだって とっくに戦争は終わっているのに、ゲリラ戦を続けていたわけで
実りがないばかりか 敵味方双方に無駄な犠牲者を出した、という考え方ができなくもない。
けれど 私はそのようにこの方を責める気にはならない。
旧帝国軍人の多くは ある見方をとれば 犯罪人かもしれない。
けれど 私は東条英機でさえも 責めることが出来ない。
それがなぜかは わからない。
自分でも よくわからない。
いくら右寄り家庭で育ったと言っても、私の世代で 旧帝国時軍人の美談を聞かされて育った人は多くないと思う。実際私もあまり良く知らない。
でも 例えば 乃木希典大将とか よく知りもしないのに 好きなのである。
評論家によっては 軍人として見ても愚将だったと言う人もいる。なのになぜ。
よくわからない。
よくわからない。
よくわからないのだけれど、たったいま 小野田さんに出会えたことは 私にとってうれしいことだった。今度は著書を読んでみたい。
そういえば 小野田自然塾は福島県にあったようだ。
拠点での活動ができなくなって2年たっていたんだ.....。
謹んでご冥福をお祈りします。
Edited by じゅんか 2014-01-18 19:20:46
Last Modified 2014-01-19 09:08:54