生き方のルーツは 実家の生き方かも
母の口癖などを書いたら 色々思い出して来た。
うちの周りは市営住宅や府営住宅が多い、低所得者層の町だったわけです。
だから 一軒家に住んでいるイコールお金持ちだと思われてました。
でもねー。
ウチは実は貧乏だったんです。
私が生まれた当時はおカネがなくて ミルク代もなくて
でもお母さんは家の手伝いで働いていますから
育児に手間がかけられません。
母乳がいっぱい出る母でしたが 仕事上
母乳オンリーは無理で ミルクをあげるのは 姉の仕事です。
だから 粉ミルクをうすめて飲ませてたそうです。
よく育ったよねー私。
私が覚えている限り 私が小学校3年生くらいまで テレビは白黒でした。
そのころ 時代は1980年ですから 当時すでに白黒テレビ家庭は珍しかったです。
でも もらいものを使っていたんだな。
とうとうシマシマになってうつらなくなったら
父がまた古いカラーテレビをもらってきて
また、画面がシマシマになったら 私があちこちのプラグをいじり
ブラウン管の後ろをそうじします。
すると一時的に直ります。
だましだまし使って その後 何年かたって買った....と思う。
そうだ、それまで 冷蔵庫ももらいものの1ドアで、
氷が作れないから 夏場のお客さんへの飲み物が冷やせなくて 困ったな。
やっぱり 3年生くらいの時に 冷蔵庫を買った。
そのとき はじめての2ドア冷蔵庫見て 感激したのを覚えています。
その延長に私の学生生活があります。
大学生になったとき 私は下宿しました。
私大だったから 周りは裕福な家庭の子ばかり。
下宿にいた同期生7人は 一人暮らし用の家電製品をそろえていました。
私が持っていったのは 自分で買ったラジカセ一個と姉が買ってくれたアイロン一個
父が道ばたで拾って来た掃除機
知人がくれた足の折れたコタツ....以上でした。
あとは家にあったあまった鍋とか。
でも面白かったのは炊飯器も持っていない私が下宿で一番自炊してたことでしょう。
下宿は共同台所で、私の住んでいた部屋は3人で台所一個。
コンロが一口コンロだったので 複雑な料理はできません。
炊飯器がないと鍋でごはんを炊くし、同時に作るとなると難儀でした。
でも、なんとかなったし、なんとなく役割が決まり
隣の部屋の子の食事も私が作り
彼女が ゴミ袋などの共同の雑者を買ってくれました。
あれはあれで 楽しかったなー。
生活を楽しむのって モノじゃない、そう思えた経験だったなー。
話は脱線しましたね。
言いたかったのはね
ウチの父と ウチの夫はなんとなく似ていて
やってることもなんとなく似ている
そんで 私もなんとなく やっていけるんだろう、なー。
Edited by じゅんか 2009-03-03 13:39:17
Last Modified 2009-03-03 14:09:26