聖なる十二夜 第九日目
久々に 特に何もない日だった。
夢は見ていない。
子どもたちは遊びに行き、わたしは会計の〆をした。
お餅つきもした。餅つき機なので、あまり時間はかからない。
そして餅つき機といえど つきたてなら美味しい。
お昼ゴハンはお餅と 黒豆と お煮しめ。
そしてついたお餅で ようやく鏡餅を飾る。
今年はお餅の下にしく紙が半紙ではなくて、懐紙だ。
どうでもよいことだけど テンションがあがる。
夕暮れになり子どもたちが帰ってくる。
かんじは誰かとあそびたくてしょうがない。
しかし 父さんは眠っており、わたしは 台所に立ち、ようすけはマンガを読んでいた。
気付くとカンジも マンガを読んでいた。
曲がりなりにもお正月の準備をした台所が少しずつ片付いていく。
明日には平常モードに戻るだろう。
一段落して、家族全員で「ラビリンス」をする。
このゲーム、偶然が多くを左右すると思っていたけど、何度かやってみたら 圧倒的にとーさんが強い。さまざまに入り組んだことがらを整理し、もっともシンプルなルートを探すのが とーさんの業務内容であるから、案外仕事と通じるものがあるのだろう。
昨日武術の本を読んだので、何か動きたい。
「稽古は本来気持ちが良いもの」「座禅は本来気持ちが良いもの」という一節がツボにはまり、ひたすら体を動かしていたら ようすけもノッてきて 二人でおかしな動きの体操をした。くだらない動きなので、爆笑した。
ちなみに私は和室で育っているので、足のしびれが切れることはほぼない。小学生くらいまでは 正座が最も楽な姿勢だったので、学校の椅子の上で正座してしまい、しばしば先生に怒られていた。今思えば確かに迷惑だ。私の座高は高い。後ろの席の人、すまない。
でも 夫も子どもたちも 正座を長くすることはできない。たぶんこれが現代人のごく普通だろうと思う。
話がそれた。とにかくこの日はぼーっとした。
そしてぼーっとするのは 悪くないと思った。
何をあせっていたのだろう。
眠る前に 子どもたちがマンガのシーンを再現する寸劇ごっこをしていた。楽しそうだった。が、恥ずかしくて見ていられなかった。演じている子どもが恥ずかしいならともかく、なぜ見ているわたしが恥ずかしいと思うのかわからない。
この日はすぐに眠り 一度も起きなかった。それはすごく久しぶりのことだった。
Edited by じゅんか 2019-01-03 08:37:48
Last Modified 2019-01-03 08:39:36