材木屋ばなし//試練と支援
ともかくも、若い浄竿さんの現場には 沢山の試練がありました。
父親は、浄竿さんの作った大工道具「馬」を見てその美しさに惚れ、現場に通い、その仕事を見たいと思うようになりました。
いくつかの現場へ材料を納品しながら、流れ上トラブルの仲裁役をするようになりました。
その仲裁に恩義を感じた浄竿さんが、事務所建物を作ってくれ、渡米してもなお、つきあいが続きました。人嫌いの浄竿さんには 珍しいことだったと思います。
父親としては 浄竿さんの現場が 無事完成の日を迎えるよう、常に願っていたと思います。
「他の誰にもできない仕事をする人だ」と心底惚れ込んでいたと思います。
それが思い込みなのかどうなのか 私にはわかりません。
私自身も同様に浄竿さんの作品を突出したものを感じており、京都を離れて20年たった今でも、すでに事務所建物が撤去された今でも、浄竿さんの建物の魅力に取りつかれているかもしれません。
こんなにしつこく 同じ話題を書いてごめんなさい。
でも これはもう どうしてもどうしても 書きたくて書いています。
ごめんなさい。
材木店建物の保存の活動/展示会の開催に奔走してくださっているTさまも 多分浄竿さんの作品に 心を奪われたのだろうと思います。
実際この保存活動はものすごく大変でした....。
言い表せないくらい大変でした....。
私たち家族は毎日毎日、頭が下がる思いでした。
そのTさまが展示会を企画され、クラウドファウンディングにもチャレンジされました。おかげさまでその目標金額は達成しています。
「どうしてここまで尽くしてくださるのですか?」「頑張ってくださるのですか」と父親は何度も尋ねたそうです。
「浄竿さんの作品がすごいからです。なぜこんなに頑張っているのか、頑張れるのか 私にもわかりません」とおっしゃるそうです。
そう、なぜかわからないけれど、これを書き終わるまで 私の涙も止まらないのです。あと少し。一体何を伝えたくて書いているのかもわからないのに。
見えないゴールに向かって全力疾走している気分なのです。なぜか。
Edited by じゅんか 2019-01-29 23:41:55
Last Modified 2020-06-03 09:41:45