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2008-06-27
子どもが何かを運んでくる

突然 むらむらと 雑感。
子どもが産まれて6年目 ふと振り返る。
私の人生は 息子の誕生とともに ずいぶん変わったな。

息子の誕生とほぼ同時に 我が家にパソコンがやってきた。
それまで 自然系職種にこだわっていた夫が
自分にとって 楽しい仕事は何か、について考えた結果である。
それまでの林業や木工の仕事を辞め、引っ越し webの学校へ通い始めた。
そのころ 息子は産まれたのだった。

そして私は 妊娠中に「シュタイナー」に出会った。
夫が買った本が そこに積んであったからだ。

あれから 6年。我が家はweb屋として生活するようになった。
職種は自然系ではなくなったのだが、
なんちゃってシュタイナー教育に始まって 北海道に転居し
さまざまな出会いを経て、自給的な暮らしに近づきつつある。
「職種も自然系」にこだわっていた頃の方が ずいぶん人工的に暮らしていた。
不思議なものだ。


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思えば私が生まれたころ、私の家の事務所スペースをとある人に作ってもらった。
うちの父は 野生のカンみたいなものがあり、
その人が作った作業用の「馬」や「墨ツボ」を見てひとめぼれした。
その後 縁あって 我が家の事務所を作ってもらうことになったのだった。

そして この事務所スペースは 私の生家の運命を大きく変えることになった。
説明するのは難しい...。
でも 他の誰にもあの建物を創ることは出来ない。
私が言うのも変だが あの空間は...とても素晴らしい。

へんてつもない かけだしの小さな材木屋だった我が家には
芸術家や建築家の人が多く出入りするようになった。
もともと芸術好きだった父は 嬉々として夜半まで語り
また、工芸家/芸術家の人が好む材料を仕入れた。

そのたびに「この子が生まれた時にこの建物ができました」と引き合いに出され
私はそれを じっと聞いていた。

アメリカの美術館の館長さんが家に来たり
アヴァンギャルドな茶人だった 堀宗凡氏がやってきたこともあった。

全くの庶民であった我が家としては まことに奇妙なことだった。

私の父は中卒で また お茶の素養などなかったから 
その後何度か堀氏のお茶会などに行ってから 学びたいと思ったらしい。
4年生だった私と一緒に 近所の知人宅で茶道を習ったりもした。

「おまんじゅうがおいしいから」と私も通ったが、
宗凡先生のお茶会の幽玄さが とても強烈な印象を残したから、というのも大きい。
(※宗凡先生は 男性だけれども 赤いルージュをひいて 大きなイヤリングをつけ ドレスを着てお点前をした。お茶室には菜種油の灯明がともり、喜太郎が流れていた。私にとって それが初めてのお茶会だった。当時 普通のお茶会でこんな雰囲気はありえなかった)
話している内容は難しくて 小学生の私には全然わからなかったけれど。

きっかけは どうであれ、習ったのはスタンダードな茶道。
おおむね忘れてしまった...だけど まあ お茶会に出れば 
お茶を一服 いただくことくらいできるかな?
実際にはあまり役立っていないけれど 美しいものに肌が泡立つ感じ、だけが残ったかな。

だが、父にとっては 大事な学びとなったようだった。
京都で工芸や建築を深く知ろうと思ったら
やはり茶道を知っていた方がより深く学べることがあるからだ。
販売するだけが仕事ではなかった父には必要だったのかもしれない。

その後 相も変わらず 私の生家は小さな材木屋である。
が、その在庫のマニアックさが定評となり 
父には多くのジャンルの不思議なファンがいて 幸せに暮らしている。

さあ 我が家にも二人目の子どもがやってくる。
次の子どもは一体何を運んでくるだろう。



Edited by じゅんか 2008-06-28 00:05:36
Last Modified 2008-06-28 00:54:52





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