常識って何なのかな
このごろのわたしは
いえ、昔々から わたしは
「常識って何なのかな?」とおもっている。
それがじわじわとしみ出しているから
世間様の心正しき人々の神経を逆撫でしてしまうのかもしれない。
ところで ネット社会というのは
とても便利で 少々厄介なものである。
自宅にいながら、多くの調べものができる。
あれこれと用事を済ませることができる。
これは良い点。
しかし、ネットはネット
便所の落書きは便所の落書き。
イジメ問題だろうと 家庭問題であろうと 原発問題であろうと
ちょっと センセーショナルな
もしくは 人の関心をひく話題となれば
沢山の人による 膨大な書き込みを見ることが出来る。
ウカウカすると その膨大な「落書き」のどれかを正論だと勘違いしてしまう...それが不便な点。
膨大な でも混乱した書き込みを見続けると バカバカしくなってくる。
「常識」ってひとつじゃないんだって思う。
書き込まれている板のカラーによって
また タイミングによって 書き込み内容の主流が変わる。
「書き込み内容の主流」が「世論」と捉えられるものなのか
それはよくわからない。
わかっているのは 自分の中の常識が万人にあてはまるわけではない。
これは 私に限ったことではない。
誰にとってもそうだろう。
このブログでも何度か触れたことがあるのだけれど
世の中的には 「お金がないと子育てができない」という意見は多い。
年収の低い男性は結婚ができない、とか
イマドキ、専業主婦を選ぶ女性は 怠け者のニートであるとかいう意見も多いと思う。
世の中のお母さんの多くは かなり頑張って働いているらしい。
私は働いていないわけではないが 稼いでいる訳でもない。
つまり 私自身の年収は限りなく0に近い。
専業主婦ではないのだけれど、メインの業務は主婦業である。
基本チキンなワタクシなので、
別に誰に何を言われるわけでもないのに、劣等感を持っていたりする。
しかし、外で働くのに 乗り気かと問われればそうでもない。
自営だと オカネにならない労働は多い。
外で働けば 少なくとも時給はもらえるのだから
お金のことを考えれば もちろん外で働いた方が良い。
しかし どうも乗り気になれない。
うらうらとそう思っていましたら
本棚からぽろりと「ミュータント メッセージ」が出てきた。
半分くらい読んで まあいいや、と思った。
人は裸で生まれて 裸で死ぬのじゃないか。
日本は 低成長時代なんて言っているけど
戦中戦後に比べれば格段に豊かである。
外で働いていないお母さんなんてゴマンといただろう。
だけど 今より不幸だったかというと そうとも限らないだろう。
お金というのは微妙なものだ。
沢山あっても 足りない時は足りないし
ちょっとしかなくても 生きて行けるときもある。
人によって 状況によって 必要な額は違うのである。
ともあれ 私は カメの歩みで生きている。
案外元気に生きている。
世間の人は 私の生き様を 笑うかもしれない。
いや むしろ 笑って欲しい。
だってこのごろ思うのは
ほんの少し イカレた生き方をしている人が
私にとって心地よいのだもの。
ああ、ここ、うまく説明できない。
説明しなくても良いけど。
Edited by じゅんか 2012-08-13 23:52:54
Last Modified 2012-08-14 00:24:32