自分自身を生きる ただしく生きる
私の新しいご近所さんに おもしろい人がいる。
仮に、スナフキンさん、と呼んでおこう。
完全な世捨て人、というほどではないが、一般社会を心静かに眺めているような人である。
スナフキンさんは ちょっと変わった風貌の人で、しかし大変マジメな青年である。
どうおもしろいのかは ちょっと説明しにくいので、割愛する。
先日、スナフキンさんが話してくれたことが ズンと 心にひびいた。
人間っていうのは 沢山沢山の 何億、何兆もの細胞からできている。
細胞の一つ一つは 何かを成し遂げようとか 良いことを成そうなどとは思っていない。
けれども 細胞の一つ一つが その命を全うすることで、たった一人の人間が 正常に生きることができる。
世の中に生きる 人も 斯くのごときものではないかと。
ですから 小さな私たちひとりひとりが すこやかに日常を生きることそれ自体が もっとも世の中をよくするのではないかと。
ああ、そうかも、という気がした。
このように考えると、他人のあれこれを批判する気にはなれない。
AさんならAさんの、BさんならBさんの日常がある。
それは 私には計り知ることができないから。
一方で このわたし自身を 深く、静かに見つめて行きたいとおもう。
今日も下らぬことで腹をたててしまった。
だとしても 息を深くすい、また、ゆっくりと息を吐き、
まっすぐに立っていたい。
このごろ思うことは 周囲がどのようにあろうと 自分自身が心静かに過ごしたい、ということである。
わたしが浮き足立っている時は どうもよっけが 困ったことをする。
瞬時に怒ってしまうのだけれども いけない、いけないと思い直す。
スナフキンさんに 息をする時のイメージを教えてもらった。
「なりたいと思ったら なれるんですよ。ただしく立っていられる人に」
その言葉を支えに、明日を見つめて 暮らしてみたいと、おもいます。
Edited by じゅんか 2011-05-26 23:48:07
Last Modified 2011-05-26 23:48:07