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2013-09-22
さて、お彼岸だな

さて、先日 「昭和新山物語」を読んでから 私は三松正夫さんについて大変興味を覚えていた。

そんなわけで 山美湖図書室へ行ったとき、今度はご本人でない方が書いた著書を読んでみた。

三松三朗著「火山一代」である。

三松三朗さんという方は 三松正夫さんと血のつながりはなく、孫娘の婿という立場の方なのだけれど、晩年の三松さんと共に暮らし、また 残された遺稿や整理する立場におられた方なので、さまざまに色々が書かれていた。

ちょっといま 頭が飛んでしまっていて この著書の感想を書くことができない。


しかし この三松正夫さんのお父さんのことについて書かれたページを読んだ。
このお父さんは 札幌農学校初代校長橋口文蔵の縁で さまざまな職業を経た後、壮瞥の開拓を決意して 入植している。
ところが本人は 実際の農作業に携わることはあまりなく 実際の農作業は息子たちや妻にまかせきりだった。
しかし 農業に限らず 大変な知識があったので、作業はしなくとも色々とアドバイスをしたというのである。


それを読んでいるうちに 私自身の祖父について思い出した。
私の父方の祖父も、百姓でありながら 野良仕事はあまり好きでなかったらしい。


お彼岸に父方の祖父のことを思い出したのは面白いと思った。
何しろわたしは 祖父に会ったことがない。
私が生まれた頃には 父方母方全ての祖父母は他界していた。
つまり 思い出は何一つない。

父方の祖父について知っていることはごくわずかである。

いつも火鉢の前に座り、キセルを吸っていたこと

とても頭がよかったらしく 書や読書を愛でていたこと
若干19歳で区長になり、それは当時として異例だったこと
鉱山会社の役員をしており、百姓らしくない人だったらしいこと
晩年は 認知症となり 家にいても「それではそろそろ帰ります」と言って席を立ち、家の周りを一周したら また普通に帰宅して
またしばらくすると 「それではそろそろ帰ります」というのを繰り返したこと
くらいである。

父の生家は 関ヶ原だかいつだかの戦いで負けた落ち武者の家系だったらしく
蔵のどこかには 鎧があるのだとか そのような噂を聞いた。
また 農地改革以前は地主だったらしく それもあって泥臭いところがなかったのかもしれない。

うちの父も終戦直後に「靴下」をはいて登校した唯一の子どもだった。
その頃の農村は 裸足にわらじが当たり前だったらしく、兄弟は大勢だったのだから 確かに不思議である。

裕福だったのか。
いや待てよ。
確か 当時闇米を人に渡すことは大変な罪で 買うのも売るのも大変だったらしいのだけれど、この祖父は 堂々と郵便で闇米を送ることができた。
役員をしていた鉱山は当時軍の管轄で コネがあったということだろう。
警察のハンコを押してもらっては 遠方の親戚に堂々と闇米を送っていたらしい。
そんなわけで 米の代わりに靴下などが送られてくることがあったような話を聞いた。


ともあれ、祖父が存命の頃、つまり父の幼少期には 家の中でお母さん(私の祖母)やお姉さん(伯母たち)がカイコを飼っては糸をとり、家の中で機を織り、家庭内で醤油なども作っていたという。

同時代を生きていた母方の家庭では 女手が少なかったからなのかどうか。
カイコを飼っていたけれども 機を織る人はおらず、醤油もよそから買っていたというから 「そういう家風」だったのだろうか。
今ではわからない。


そうした作業はせっぱつまってのことでなく、案外気楽なものだったのかもしれないなとも思う。
うちの父も 子どもの頃には ヤギを飼って乳をしぼってみたり
七面鳥を飼っては その卵を自分であたためたことがあるらしい。
残念ながら卵からヒナがかえることはなく 大事なたまごは腐ってしまい、ヤギの乳とは青臭いものだった。

今日の日記は本当にオチがない。
ないのだけれども 三松正夫さん関連の著書を読んでいると
「全く意味がないと思われることも 淡々と記録する」ということがちょっとしたくなった。


皆さん ごめんなさいね。
ただの独り言です。



Edited by じゅんか 2013-09-22 17:50:33
Last Modified 2013-09-23 12:05:05





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