完璧じゃない自分を愛す(4)
ここまで書くと、育ちのよくない人には未来がないかのようにも思うかもしれませんが 果たしてそうでしょうか。
ずっと茶道ネタで来ましたので、ついでに陶器の話でもしましょう。
私は「萩焼」が好きです。萩の七化け..とかいいますが、使い込むうちに味わいの出る萩焼がとても好きです。
ところで 私の記憶に間違いがなければ 萩焼の茶碗というのは 必ず糸底に欠けが作ってあります。完璧であってはならないのだか なんだったか、
詳しくは忘れましたが 完璧ではないように、わざとしてあると思います。
また、私は小4のとき、堀宗凡先生の茶道のショウを見に行ったことがあります。
BGMや 会場のオブジェ、難解なテーマの書かれた書き物など、小学生の私に覚えていることは多くないです。
お点前自体は シンプルな平点前でした。
そのとき、先生は 手順を間違えました。
そして あでやかににっこり笑ってやりなおしました。
ショウが終わったあとも 私はそこに残っていました。
先生は 「あのね、あそこで間違わなかったら面白くなかったの」とニコニコしておられました。わざと間違える!それは 当時の私には衝撃でした。
何がかわかりませんけど。
また、ある芸術家の方が趣味で作った版木を見せてもらったことがありました。
版木のはしっこに 小さな彫刻がくっつけてありました。
その方は その彫刻を どこかで手に入れたらしいのですが、素朴で目立たないものでした。
「これは へたくそやからいいんです。」
同じ人が とある家の壁紙を見ていいました。
ははあ....これはなるほど綺麗に貼ってある。けど 逃げがなくて 苦しい貼り方ですね。
と笑っておられました。
なんか わかるような気がしたのです。
きちんと貼られた壁紙は 苦しそうでした。
うまくは言えないけど、確かにそうでした。
今ここに生きる私は完璧ではない。
でも
「そやから いいんです」とどこかでいわれているような気がします。
わかりにくいですか?
わかりにくいですよね。
どのみち私は 「きちんとしたもの」を作ったり、「きちんとした暮らし」をすることが得意ではありません。
でも、「それでもいい」と思える瞬間や 「行き届いてはいないけど、心地よい」時を皆様と共有できたらいいのにな、と思っています。
長い 長い 無駄話でした。
おしまい。
Edited by じゅんか 2011-01-23 13:19:04
Last Modified 2011-01-23 13:32:05