「片付ける」について随想(1)
このごろ 「片付ける」ということについて考える。
「生きているうちに(元気なうちに)片付けなければと思って」
と連絡をもらい、不要品の整理など 様子を見に行くことがあったからである。
結局私自身は何もできなかったのだけれど
廃材を必要としている人に連絡をとって 今回は終わった。
先日 西胆振(にしいぶり)地区(室蘭/登別/伊達/壮瞥/豊浦町)の今昔の写真集を借りた。
製鉄と製油の町 室蘭が栄えていたのは言うまでもないけれど
たとえば 今は静かな田舎町である わが壮瞥だって
昭和40年代ごろまでは 幌別鉱山(硫黄/北海道最大)釜谷鉱山(鉄鉱石) 仲洞爺鉱山(鉄鉱石)などがあり 人も沢山住み、鉄道の走る地域だったわけである。
幌別鉱山の跡地 黄渓地区の場合は 昭和40年代まで 2500人が住み、小中学校もある集落だったのに、現在の人口はゼロである。
集落跡地を訪ねてみたことがあるけれども 本当に何もない。
廃屋すらない。
よく探せば 共同浴場の跡があるらしいが 私は発見できなかった。
何も知らなければ ただの広大な原野である。
そういえば伊達市の話なのだけれど ひびきの村の裏手に 「志門気」という地区がある。
昔 やはり3000人規模の集落だったらしい。
かつての隣人「梅のおじさん」から郷土史を借り、
また梅のおじさん自身からも話を聞いた限りでは
開拓農民が多数入植していたらしい。
数年前、「関内小学校志門気分校跡」の周辺を歩いたことがある。
かろうじて 分校の跡はある。
けれども どこに沢山の人が住んだのか やはりわからない。
商店もあったというが 跡形もない。
緑の山と 牧場と 数件の農家と 小さな神社があるきりで
人々がにぎわった足跡を感じるのはとても難しい。
Edited by じゅんか 2013-06-20 21:39:31
Last Modified 2013-06-21 09:57:34