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2014-04-09
all need is.....(4)

愛、愛ってそれぞれの形がありますよ。


でもね
自分のことを愛してくれている人がいる。
自分のことを気にかけてくれる人がいる。
ってゆーのは すごい、と思うんですよね。


もっと言うと 自分で自分のことを愛しているのが最強だと思うのです。

それはさておき 今回の我が家の帰省は ちょっとしたきっかけがあり実現することになったのですが 私自身は恥ずかしさを承知で言うと

「私の両親は私に会ったらうれしい」という確信を持っている訳です。

私はなるほど良い人ではない。

ウチの親は裸一貫で起業して、夫婦二人で現在も切り盛りして、さらにヨソ様への道徳的な指導もしているので、人への評価はなかなか厳しいです。

「機転がきき、人様に対する気配りができ、社交的な様々なやりとりをソツなくこなし、仕事もできて当たり前」と思っているようなんですね。

実際問題私の二人の姉たちも 独立自営業者で 機転もきき、礼儀正しく 社交的なんですよ....。

 私が最もダメなんですよ。
いや真面目に 家族内での雑談を聴いているだけで

「わー わたし、人間失格なんだなーーーーーーー!!!」としみじみ思いますよ。
笑っちゃいますよ。


がしかし、私の両親は私を愛している、と思うのです。
孫に会えるかどうかよりも 多分私自身のことを気にかけているのじゃないかとすら思っているくらいです。

あら私ったら あつかましいわねえ。


ここだけはウチの夫とは考えが違います。
ウチの夫は 義両親が息子である自分に会いたいと思っているとは思わないらしいのです。
「孫に会えればいいでしょ。俺と会って 何を話すの?」ときょとんとしています。
男性という生き物が皆 こういうものなら 私も子どもたちが成人したら会わなくなるんですねえ。
ちょっとしんみり。

ともあれ 私は正直 大変かわいがられて育ったと思うのですよ。
中学生になっても 高校生になっても 大人になっても母とはあいさつ代わりのハグをしてましたし、小3くらいまでは父親と一緒に眠ったり、ひざの上に座ったりしていた訳です。

小さい個人商店の家族ですから 親が忙しくて 遊びに連れて行ってもらえることはありません。
けれども それは 両親の日常がそういう日常だから仕方がないので、嫌われていたり、関心がなかったりするのとは違います。
会話のない家庭なんて想像したこともない にぎやかな家庭でした。
ですから お互いの興味の対象もうっすらわかっているし 話題に事欠くことはありません。


私はこの日記でも何度か書いているのですが この日記にしろ アナログ版「みつやんつうしん」にしても 遠く離れて暮らす家族に対して 私の日常を表現する手段として始めました。

私はとても両親を愛していてます。
また、愛してもらっているとも思います。

それをそのままストレートに書いちゃうとただ恥ずかしいものですが
4コママンガという形の「報/連/相」があってもいい、と思ったのですね。

相談して アドバイスをもらったところで 強情な私は言うことが聞けません。
しかし 深刻にならなければ たいていのことには笑えるポイントがあるし それを楽しんでいればいいんじゃないかとも思っています。


だから 私は ハタから見れば ただの日常でしかない 特にオチもない4コマを描きます。
このごろ facebookとか SNSの書き込みについて
「自慢話とか、リア充アピールがうざい」なんて意見を見ることがありますね。

確かにそう言う人もいるかもしれないんだけど
少なくとも 私の描く新聞を 私の家族は楽しみにしており、私の義実家も楽しみにしてます。
楽しみにしている人がいるからこそ 私は描けます。
気づけば15年も描いちゃってます。

そうだ。
「愛されている」という実感が 人を強くする気がします。


それともアレかな?
「愛されている」という実感が 人をおバカさんにさせちゃうかな?

まあ どっちもあるでしょうね。
でも どっちだって 笑える範囲だったらいいなあ。

ワロエナイ範囲だったら 皆さんごめんなさいね!



Edited by じゅんか 2014-04-09 11:41:49
Last Modified 2014-04-10 10:28:17





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