小学校のしくみが 今頃わかる(1)
さて、昨年末に 町の教育委員会の方から打診がありました。
カンジは 「就学時前検診」に行われる検査の中で 集団生活に関する点数が 標準より「一点だけ足りなかった」というのが きっかけでした。
これが保育実績のあるこどもなら 保育所の担当の方に 実際の保育園での様子を聞いて、「大丈夫だね!」または「無理かも」と判断するという流れだそうです。
ところが カンジは保育所へは行かなかったので、情報源は私だけ。
ご近所の子どもたちで遊ぶ時は集団で遊べるし、特に問題はなかったけれど、20人を越えるクラスでどうなるのかは 私も知りません。
壮瞥町の小学校は こういうところが細やかで 障がいを持つ子どものための配慮もあります。
また、特に明確な発達障がいを持っていない子どもであっても、本人にとって困る特性があった場合、(「教室でじっとしていられない」「勉強を理解するのに時間がかかる」など 微妙なケースの子ども」)については 一部の時間を特別支援学級で過ごす、あるいは 全く健常児と同じクラスで過ごすけれども 「支援員」と呼ばれる職員を子どものサポートにつけてくれる場合があるようです。
私が子どもの頃というのは 特別支援学級にいる子どもは 明らかにわかる障がいを持った子どもばかりで、その他の子どもは クラスの中で一緒にいて、担任の先生は 色んな特性の子どもが交じった47人クラスを見ている、という状況でした。
ですから 同じクラスのよしえちゃんは 先生にあてられて 「教科書を読む」というそれだけのことで毎回泣いていました。彼女はとても緊張する子だったと思うんですね。
勉強がわからないわけじゃない。ただ大勢の前で話をするのが悲しかったのだと思います。
同じようなことは違う時期にもありました。
同じクラスのFくんの声を わたしは一度も聞いたことがないのです。
Fくんは障がい児ではありませんでした。
話せなかったわけでもなかったらしいのです。
ただとても内向的でした。
2年間同じクラスだったけど 登校した日は 何度かしかありませんでした。
そのたった何度かの間に 声を聞いたことがなかったのです。
出席をとる際の返事の声が聞き取れない...そういう子でした。
また別方面で大変だった時もありました。
頭がよくて 行動力もあるMちゃんという女の子と同じクラスになりました。
しかしこの子は 授業中ずっと歩き回って動くのが大好きで 何ヶ月か授業が成り立たず、学級崩壊っぽい状況になった時もありました。
今思えば 47人の生徒を教えるだけでも大変なのに、担任の先生は苦労していたんだろうなあと思います。
しかし 1970年代は とにかく大勢の子どもを一律にどーっと教える以外に方法がなかったと思うし、先生もがんばっていましたから 学校のせいだとか そういうことを思ってはいません。
学校とは そういうものだと思っており、それ以上のことを期待していませんでした。
Edited by じゅんか 2015-04-30 09:44:54
Last Modified 2015-05-01 20:15:36