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2013-11-15
セニョーラは 元気だろうか

ふと 11月のこのような時期のことを思い出した。
むかし むかし おおむかしのことである。


あるもう肌寒い季節に 「セニョーラ O」のお宅へ行ったことがある。
その頃の私の周囲はラテン音楽好きが何人かいて
その知人の友達のお宅だったのだろう。

セニョーラというからには 誰々夫人ということで 小さいお子さんをつれたご婦人だった。
日系ペルー人を夫に持った彼女は 日本の、ちょっと僻地に住んでいて
スペイン語しか話せなかった。
つまり 普段交流のできる日本人の友達があまりいないようだ。

そしてもっと 彼女を悲しませていることがあった。
ペルーにいれば 誰かが楽器を持っていれば、
また 小さいカセットデッキ一つあれば 
たとえ道ばたでだってダンスパーティができる。
つまり 踊ることが ごく普通の習慣であるらしかった。

それができない。
それはとても悲しいことであるらしかった。
日系人が集団で就職するような大工場ではなくて
彼女の夫の勤務先には 日本人しかいなかった。

たまたま その日セニョーラの家にやってきた人は 簡単なスペイン語を話せた。
込み入った言葉は タガログ語とスペイン語と英語が話せるTさんが通訳してくれた。

私は例によって 何も話せない。
私の知っているスペイン語は 「hola!」「adios」「muchas gracias」くらいなものだ。
「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」....挨拶だけですね。
だから ほんやりしていた。

ただ sopa de ajo (ソパ デ アホ=にんにくのスープ)ができあがるのをじっと眺めていただけだった。スペイン語では にんにくを「アホ」といい、牛肉を「バカ」というらしい。
本当だろうか?
今でも確かめたことがない。

セニョーラのおうちには 小さいデッキがあったから やはりここはmusica!
Vamos a bailar!(踊りましょう!)
ということになった。
後にも 先にも 彼女と共有する思い出はそれだけ
それ以前のことは何も知らず、その後のことも私は知らない。

今日は何気なく サルサを聴いて踊った。
妙な気分である。
こころの中で  Vamos a bailar!....
でなく vamos...vamos....が現れたり消えたりする。
vamos...は 英語で言うLet'sだから 何かまた 心の中で何かが盛り上がっているかもしれない。


私はすっかり40を越えておばさんになっているのだけれども
若かった頃の嗜好を失っていない。
ファンキーな音も好きで にぎやかな音も好きで バカみたいに踊るのも好きだ。
ただし こっそりと。

年をとれば もっと落ち着くものかと思っていた。
が、そうではない。
20代のわたしは 30代のセニョーラが 日常を楽しめない悲しみをわかっていなかったように思う。
子どもを産んだら 母という生き物になり、
何かが枯れてしまうように思っていた。

でも実は子どもを産んだって たとえば中身はコギャルのままかもしれない。
立場上身につけなければならない振る舞いと
自分の核になっている個性のギャップがある人は 割といるのかもしれない。


わたしは当時の彼女の年齢を越えてしまった。
十分なオバさんであるのに、一向に常識的にはならないし
丸くもならない。

まあしかし 私の中の毒気とも言えるエネルギーが消えるのは もっと先のようだ。


ところで セニョーラは元気だろうか。
元気でいてほしい。
まだ日本にいるなら 彼女らしく生きられる スキマを見つけて。
もしかして 故郷に帰っただろうか。
それもまたうれしい。



Edited by じゅんか 2013-11-15 16:00:18
Last Modified 2013-11-15 17:02:07





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