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2013-11-18
サヨナラ 道徳(3)
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さらにずーっと前から気になっていたことがある。

「犠牲を払う」という言葉が 私の生家でよく使われることばだった。
世の中のために、また 人様のために 働いたり、何かをさしあげたりすることをさしていたように思う。

そのような「犠牲」は私の両親にとって とても大事なことだったから
私の両親が 人様のために割いてきた時間やお金は 相当なものだったと思う。
私の生家は 客商売としては繁盛しても 借入金が沢山あり、経費も沢山かかる店だったから いつも貯金はなかった。借入金が沢山あり、貯金はなくても 必ず「犠牲は払わねばならない」と思っていた。
少なくとも私は。

ニュアンスとしては 「自己犠牲」ぽい。
自分を犠牲にして、他者を助けるという意味のように 私はとらえていた。


一方で シュタイナー教育に出会って「自己犠牲」という言葉に出会った。
そのとき 私は タイン・チェリーさんの講義を聴いていたので それは英語だったんだけど

自己犠牲と和訳されるはずの self-sacrifice は違うニュアンスだった。
そのときの授業は 幼児教育における「人形劇」(puppet show)だったんだけど
人形劇の演じ手は 見ている子どもたちに 自分自身を捧げつくすのだと述べておられた気がした。私のうっすらとした記憶の中で『self-sacrifice』と書かれた板書を指差しつつ 講義をするタインさんの姿が思い出される。
(8年前の、しかも私のあやふやな記憶なので、違っていたらごめんなさい)

実際に 人形劇の実習をしたり、家で人形劇をしたりすると
ものすごく集中力がいる。
感情をこめないで 淡々と、できるだけゆっくり人形を動かし、
なるべく美しく置くだけなのだけど
「全身全霊集中」した時には 子どもたちの顔色は変わる。
それができていなければ 気の抜けたソーダを飲んだ後のような後味の悪さが残る。
少なくともわたしは。

self-sacrifice .....self-sacrifice .....

それは 一生懸命 今に集中するってことじゃないのかな。

もしかして 人間は どんなに人から笑われようと そしられようと
自分自身を一生懸命生きるのが 一番大事なことなんじゃないだろうか。


ああ、ああ、うまくまとまらない。
でも そんな気がしてきたのである。


ともあれ 私は小さい頃から身につけてきた良識を一旦脱ぎ捨てる。

「サヨナラ サヨナラ 道徳」



コメント(2)

Edited by じゅんか 2013-11-18 12:52:22
Last Modified 2013-11-18 18:26:02


コメント


自分自身を一生懸命生きる

私、久しぶりにこれを実践してる気がする。夏休み明けから幼稚園の送り迎えの時間を遅くして あまり人と接触しない状態になってるんだけど、、意識して人と会わないようにしたわけじゃないんだけど、これがすこぶる調子がよいです!自分のままでいていられるのですよ! なじめないエネルギーに一生懸命馴染もうとしてたんだな〜って気が付きました。全然儀気が付かなかったけど☆
だもんで何年か振りに自分と対面してるようなここ最近です。 

投稿者:じゅんぺーちゃん|2013-11-18 22:17:23


じゅんぺーちゃん

そっかー よかったね。

投稿者:junka|2013-11-20 12:23:37




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