しあわせごっこ ふしあわせごっこ
世の中 みんなイライラしているのかな?
黒子のバスケ脅迫の人がつかまったけど、
あれは一体 何なのかな。
ジェラシーだけで あんなにエネルギー使うって すごい。
頑張る方向が他になかったのかな?
ネットの住民が おかしいのか 本当に世論がどうなのか わからないのだけれど、年賀状の「子どもの写真」がえらいバッシングを受けて驚いた。
結婚したくてできない人や 不妊の人が落ち込むのはまだわかるけれど、人からもらった年賀状にむかつく人って リアルな知人から聞いたことがない。
どんなもんなんだろうね?
別の書き込みで 出産直後の「生まれましたメール」に 赤ちゃん写真が添付されている意味がわからないとか 細々報告する意味がわからないとか言う書き込みを見た。
「そんなこと 思う人がいるんだ!」と思った。
ヨソの人がどう思うかは全くわからないのだけれど、
ごく普通の子持ちの中年女性(←わたし)の感覚からすると 子どもの存在は 自分自身の存在より 大きいことが多くなる。出産経験者の多くは 「出産や子育てはとっても大変な出来事」ということを実感しているのではないだろうか。
だから こまごまとした報告をしたくなる気持ちもすごくわかるし、他人には関係ない細かいことが その人自身にとって、すごく大きな要素だということも すごくわかる。
わかるだけでなくて どちらかというと それを微笑ましいこととしてとらえているかもしれない。
いやはや 確かに他人様には一切関係のない 意味の無い 単調な暮らしが ありがたい。自分自身の思い通りにいかぬのが 子どもを育てる妙味とも言えるもの。
しかし これは実感した人だけが感じることでもあるし、また、それ以外の人生にはそれ以外の妙味があるだろう。
子どもを望んでいるのに、授かることのできない人、望んで独身を謳歌する人、そうではないけど、独身である人を含め 子どもと縁遠い人が むしろ多くなって来た、ということなんだろうか。
確かに子どもとともに過ごす日常を11年続けている私は 独身な皆様の暮らしを想像することもできないし、多分リアルの友人としてつきあうことも難しいと思う。
独身と小さい子連れでは 話題が違いますものね。
いずれにしても ヨソの人の日常を垣間みるだけでイライラするのは ちょっと不便なように思う。
いやいや待てよ。
私だって別ジャンルだけれど、人をうらやむ気持ちはある。
人をさげすむこともある。
今年 私が 自分で気づいたのは「自分を悲劇の主人公のようにとらえるあそび」である。
これにハマると ヨソの人に八つ当たりすることがある。全く迷惑な遊びである。
「誰々と比べて 」「こういう点で」誰かが恵まれていないということはあるかもしれない。
でも 何もかも恵まれている人もいない。
比べるのもばかばかしいことだし
かわいそうなふりをするのもばかばかしいことだ。
しかしながら ニブい私は とことんまで かっこわるいジェラシーごっこをして初めて この遊びのバカバカしさを実感したかもしれない。
そうだな 今年は思い切り 味わったな。変な気分を。
そして もう一つ 昔々自分にとって「イヤな人」だった人々は 悪い人ではなかったことに気づいた。
「私にとってイヤなヤツ」の役を引き受けてくれていたんだな。
「イヤな人」は必要なんだ。皆がニコニコでなくても良いんだ。
ああ、あのときも あのときも おかげさまで方向転換ができたんだ。
あのとき、「イヤだなあ」と思った人々のおかげで。
そうなんだ
いろんなことが重なって いまのわたしがあるのだし
「おかげさま おかげさま ありがとう」と実感するのに こんなに時間がかかったんだなあ。
何を言っているかわかりませんな。
イヤホントに。
ともあれ、人様の感想を見て 自分自身を眺める。
目に留まるものはすべて自分の鏡のようなものだろう。きっと。
それにしても子育て漫画を書く身分としては 配布先を再度見直すべきかもしれないなあ。
とりあえず、トナカイ業がもう少し忙しい。
年があけて 落ち着いたら 考え直すのかなあ。
それとも その頃には また違った気分でいるのかなあ。
Edited by じゅんか 2013-12-17 00:35:02
Last Modified 2013-12-17 01:13:44