ネイチャーコーナについて 雑感
忘れそうなので、備忘録として。
今年は 日本の祝祭をモチーフにしたネイチャーコーナーをいくつか販売した。
自分にとって 良いことだった気がする。
ふと思い出した。
なぜ思い出したのかはわからないけど 突然。
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小学生のとき、茶道をならっていた。
一度「初釜」の席に よばれて行ったことがある。
「初釜」は お正月に行うお茶会で お食事も出る。
沢山のごちそうも並んで とてもきれいだった。
私の先生のご自宅だったので おそらくは手料理だったと思う。
なぜなら 子どもの時の私は「出来合いのおかず屋さん/仕出し屋さんの料理」が全く食べられなかった。
コロッケ程度ならなんとか食べられるけど、そこらへんで買える「お持ち帰り和食」は壊滅的にまずい。
出来合いのおかずは箸を付けないでおく癖があった。
(これは母を困らせる悪癖であったのだけれど、あれは きっと化学調味料や 多すぎる糖分などが嫌いだったんだろうと思う。今では和食も和え物も 山菜も大好きだけど、やはり出来合いの和食系煮物/和え物は食べられない)
そんなわけで お料理もおいしくいただいて帰った。
でも 実を言うとお料理のこと、そのとき どのような手順でお茶をたてたかとか そんなことは全然覚えていない。
覚えているのは床の間に飾ってあった柳である。
茶道では必ずお花を生けてある。
多くの華道に見られるような大きな生け方ではなく
野の花がそっと生けてあるような 地味な、それでいてかっこいい生け方がしてある。
余談だけれども、茶の湯の道というのは とても手間ひまかかったものをシンプルに出すのが良いとされているのではないかと思う。
茶室なども シンプルで どちらかというと質素に見えるものが好まれているのだけれど、実際には「シンプルで質素だけれどもかっこいい」茶室というのは 高度な技術と良い材料が駆使されており、大変高価なものである。
私は材木屋の娘だからどうしても そういう視点でものを語ってしまうのだけれども、たとえば「さび丸太」と呼ばれる丸太がある。
わざわざきれいな丸太にカビをはやして、「わびさびな雰囲気」を出したものである。
なんと これが高級品でもある。
さび丸太だろうと ぐねぐねにわざと模様をつけた丸太だろうと へたくそがこれを使うと目も当てられないかっこわるさになる。
だから面白い。
最終的には 作り手のセンスと技術がものすごくできばえを左右する。
質素であっても かっこいい茶室があるなら その茶室を造った人は 明確なイメージをもって創っていたはずである。
庭の石ひとつとっても 考えて置かれている。
そういうわけだから ただお茶を飲む....それだけなのだけれど、器や お花、庭、掛け軸に至るまで その季節を反映するように用意する。お客さんが気づくよりもずっと 亭主(お茶席を主宰する人)は考え抜いて また準備に心を砕いているのが常道ではないかと思う。
話がずれた。
その時の柳は 天井から床まで垂れ下がるほどの長さだった。
それがきれいに結わえられていた。
息を飲む美しさだった。
若柳、といっただろうか。
若芽がついた 瑞々しいもの。
ああ、あの時の感動と、すばらしくしつらえられたネイチャーコーナーを見た時の感動は とても似ている。
形が何であるか
テーマが何であるかは 小さいことだ。
暮らしの中に 大きな感動があるって すばらしい。
Edited by じゅんか 2013-12-30 10:35:57
Last Modified 2013-12-31 00:09:36