HOME > シュタイナー > 学校を変えようと思う前に(3)
2009-04-29学校を変えようと思う前に(3)
このこたちの多くは 親に愛されている...ようにも見える。
あふれるおもちゃ おいしいおやつ
だけど...小さい頃に 親から十分な関心が得られなかったのでは?と思う。
オモチャをたくさん買ってもらえる=愛されている
とは違う。
「買ってあげる」のは 「うるさくって面倒くさいから」という理由の時だってある。
「おねだりとお買い物とレジャー」が子どもとの交流だと思っている人もいる。
何も買ってあげない親を人でなしのように感じる人もいる。
実は私もそうだった。
「買ってあげない自分」はひどい親でないかと 何度も思った。
よっけが3歳から5歳くらいまで うちは本当に貧乏だったから
よっけが泣いても叫んでも おやつもおもちゃも買わなかった。
でも それが今ではとても良いことだと思っているけど、
そう思えるまでには時間がかかった。
貧乏なこの時期に 身につけたのは
モノを買う代わりに
それを忘れるような遊びをしてお互いに忘れること。
お陰で 買い物から帰るたび ゲラゲラ笑ってじゃれあわなくてはならない。
私の場合、そうなるまでに2年はかかった。
消費社会に生きる私たちは 「モノで愛情をはかる」よう洗脳されている、と思う。
.......................................................................................................................................
また、子どもにとって大切な「生活のリズム」が与えられなかった場合もある。
共働きだから 愛情に飢えるか?というとそうではない。
「子どもとの約束」を守り 一日の中で 子どもと向き合う時間をとってやれれば 埋め合わせはきくと思う.....多分だけど。
だけど 毎日まいにちおむかえの時間が守られなかったり
あちこちにたらいまわしに預けられたり
家に帰っても 親の頭の中が忙しすぎて 関心をもってもらえなかったり
そんなことの繰り返しが 子どもの中に恐れを作る気がする。
今日もやりとりが聞こえる
「ママ、ママ、パパ、パパ、僕の話を聞いてよ!私の話を聞いてよ!僕のこと、私のことをもっとかまってよ!」
私の思い違いだろうか。
Edited by じゅんか 2009-04-29 21:11:14
Last Modified 2009-05-07 16:47:09