憂鬱な時には 夢でも語ろう(1)
こないだから 自分の夢がふわふわと空中を飛んでいます。
忘れていた 夢です。
今日は前置きのおはなし。
仕事上の自分の未来像を考えたとき、接客も、通販業も嫌いではないのだけど、私自身が飽きずに、一生続けてやれることは 「ものかき」だろうと思う。
学生の頃、私はとあるサークルに入っていて 活動の一環として 1冊の薄い冊子を作った。
もちろん、みんなで作ったものだから それはそれで ただひとつの経験にすぎない。
その後、先輩に誘われて 某旅行雑誌「る○ぶ」の取材記者をやった。
私は何もわかっていなかったのだけれど、「る○ぶ××版 編集部 △△じゅんか」と書かれた名刺を百枚渡され、「担当する地域の役所に行けば、勝手に案内してもらえるから」と言われた。
私はそれを真に受けた。20歳だった。
しかし 世の中はそんなに甘くない。
名刺を持って、指示された役場の担当者に話をしに行っても、何も案内してもらえる様子はない。しかし 遠隔地だし、私は車を持っていなかったから、そこそこの電車賃をかけて出発してしまった。手ぶらでは帰れない。
一つの地域には 担当者は一人。つまり私は一人きりだった。
残念なことには 全く観光地ではなかったので、取材する先が....あまりにもない。
しかし あまりにもない、ということは 書けるところは書かなくてはならない、ということでもあった。
仕方がないので 順番に施設やお店を回り、ポジフィルムを借り、資料を提供してもらって帰った。
ともかく それで 四苦八苦しながら記事を書いた。
とはいえ、私は色々とツッコミの利いた取材をしたわけではない。ともかくもらった資料をリライトした....というのに、近い。
いただいた資料をそのまま写すと、著作権上問題がある。だから 一つの資料を元にして、ちょっと違う文章を作るのがリライト(いわば書き直し?)である。
レイアウトも手作業の時代で、それも仕事の一部だった。
私は記者としては無能だったと思う。こまごまとツッコミを入れた覚えもない。
また、写真もヘタクソで、涙が出そうだった。
しかし 他の地域を担当した先輩が 「取材は得意」だったのだけど、全く記事の書けない人だった。そんなわけで 締め切り間際には 先輩の原稿を代行して書いた。真夜中まで書いた。
それが 私のリライト人生の始まりかもしれない。
Edited by じゅんか 2011-02-19 00:23:04
Last Modified 2011-02-19 01:14:24