家族新聞:みつやん通信 日記 日記 日々の出来事、思うこと。
日記料理シュタイナー手仕事こども

HOME > 日記 > なぜ どうしてシュタイナー(2)

2010-01-27
なぜ どうしてシュタイナー(2)

これから ちょっと混乱するかもしれません。
どのような家庭環境だったかを説明すると非常に長い。

うちの父は 昭和11年に三重県の山村の農家に生まれました。10人くらいいた兄弟の7番目か8番目です。
祖父は 鉱山の役員もしていたため、そんなに貧乏ではなかったらしい。
でも 父は後妻の子どもであったこと、子どものない親戚に望まれたことで 2歳から5歳まで親戚の家に預けられて育ちました。祖母にとって父は初めての子どもでしたが、先妻のこどもに遠慮して おおっぴらにかわいがることは出来ず、かげでこっそりおやつをくれる程度の関わりだったようです。このごろマシですが、若い頃の父は人の顔色をうかがうクセがありました。

それは私自身のクセと同じで 受け継いでしまったな、と感じています。

父が中学校を卒業するとすぐに 京都の材木屋に住み込みで働くことになりました。
20歳まで中学校の制服のまま 丁稚奉公といって住み込みの小僧です。

丁稚小僧の仕事は 朝4時から豆腐屋に行って桶で水をもらってきて その水で床みがきをすることから始まり、飯炊き(当時は薪)などの雑用、そして自動車のない時代なので リヤカーに材木を乗せて運ぶのが仕事でした。それで大体夜10時頃まで働いて ひと月の給料は500円でした。アンパンが一つ5円だった時代のことです。
小僧が主人より多く食べることは許されない雰囲気です。主人の一家は 文人風な人であまり食べません。
 父はいつもお腹がすいて パン屋の前でアンパンを買うかどうか悩んだ、と言っていました。食べたいだけ食べたら 給料が足りなくなる、ということなのでしょう。

ちなみにほぼ同時に やはり住み込みの小僧をした夫の父も同じような経験です。
違っているのはリヤカーが自転車だったこと、給料はひと月1000円だったことくらいです。

なぜこのようなことを長々書いたか、というと 我が家では 「子どもには苦労させるべきだ」という父の持論があったからです。
親にはできない教育がある....それは15歳頃になったら 親元から離して 苦労させることだ...というのが父の考えでした。

ちなみに母も15歳で呉服屋の住み込み店員として働いています。
姉二人も 15歳で厳しい全寮制の高校に入りました。
そのセオリーを適用されなかったのは 私一人です。

私が自分勝手なのは 若いうちに苦労しなかったからなのかどうなのか.....
それは 私にはわかりません。



Edited by じゅんか 2010-01-27 23:06:03
Last Modified 2010-01-28 00:30:51





HOME
このホームページへのご意見・ご感想は、
メールでお知らせください。

Copyright © 2005-2017 press328.com. All Rights Reserved
Powered by press328