夫の父という人(3)
義父にとっての転機は 結婚だったのではないかな.....。(推測)
そもそも 当時の空気として 親のない男の結婚は難しい。
また、義父の給料はとても安かったらしく、バブル絶頂期ですら たいへんな薄給でした。
しかしながら お見合いで結婚。33歳でした。
妻となった義母もまた、戦時中にお父さんが戦死しており、父親はいませんでした。
詳細は省きますが、義父はこれまでの貧乏暮らしもあるし、非常にシブチンでした。
生活費をほんの少しくれるだけで 給料袋は握ったまま、ボーナスを妻に渡したことは 一度も無いそうです。
義母は困りますが、だからといって 女が一人で生きるには厳しい時代...。
また義父は 当時からカミナリオヤジ....。
化粧もできず、美容院にも行けず、ともかく黙ってやりくり生活をし、子どもたちは早々に保育所に預けて パートに出ることにしました。
それでなんとかなるかと思ったら 今度は第二子(夫の妹)が病気で長期入院しました。
子どもが小さければ 母親はつきそわねばなりません。
パートはできないし、長男である夫もまだ 一人で留守番をするには厳しいです。
義父は 小さい夫をこっそり会社の営業車に乗せ、義父が仕事をしている間、夫は後部座席でレゴをする生活をしたそうです。
おカネも厳しい。
夫が覚えている子どもの頃の思い出は 義父とゴルフボール拾いをしていたこと。
ゴルフボール拾いのアルバイトをして 沢山拾えばおカネになるので 親子でがんばっていたようです。
子どもが生まれたのは それなりに嬉しかったんだと思います。
こどもの病気が落ちついたら会社の営業車を週末のたびに借りて、家族でおでかけです。
でっかい公園とか 温泉とか なるべくおカネがかからずゆっくりできるところへ。
現代でそんなことしたら きっと怒られるだろうけど。
Edited by じゅんか 2010-08-02 22:47:51
Last Modified 2010-08-03 00:01:46