スルー希望/8月19日(3)
話は戻ります。
たかがちょっとした野菜でも、土を耕し タネを蒔き、少しずつでも手入れをしていって初めて食べることができます。
タネを蒔いたのは随分前だなあ、と思います。
ふと思います。
たとえ、自分で菜園をしていなくて 自分の稼いだお給料で 日々食べるものを買っているつもりでも、実はそれは全然当たり前じゃない。
きっと当たり前じゃない。
今日良いことがあったとしても それはきっと当たり前じゃない。
自分が生きるよりもずっと前に 何かのタネが蒔かれていた
日々食べるもの、日々の出会い もろもろ全てのことは 沢山の見えない力の助けがいるように思う。
それがご先祖様と言う名前なのか、何なのか 先人であり、自然の全てではないのかと思う。
生まれる前から脈々と積み重ねられてきた見えないエネルギーの貯金によって私たちは生かされているのではないかと思う。
私の勝手な表現ですみません。
供養という言葉に 「恨まないでね」という恐れのようなものを感じてしまうのです。
でも、日々悩むことってたいていは小さいことじゃないですか。
本当に困って困って死にそうな人は 悩むことすらできないかもしれない。
こうして 生きていること自体が 奇跡のようなものならば
ご先祖様ありがとう、空の皆様ありがとう、ということば以外でないんじゃないかと思うんです。
そんなことをいいながら 私はしょうもないことでクヨクヨします。
続く
Edited by じゅんか 2010-08-19 21:31:54
Last Modified 2010-08-19 21:31:54