コマツばあさん(2)
さて、このコマツばあさん、慶応×年だか明治初期だかに生まれた。
小学校は2年生まで通ったけど、「女は学校へ行かなくていい」と言われて その後は行けなかった。
「ワシは 学校へ行けんかったけど、カタカナも読める、新聞も読めるし、計算もできる」と本人は言っていたらしい。
米俵をかついで歩ける女...。米俵って60キロあるから 相当力持ちだったのだろう。
余談だが、私が小学生の頃、遠縁の親戚の家に遊びに行ったら
知らないおばあさんから声をかけられ
「あんたのウチの大ばあさんには世話になった...」
「コマツばあさんに 荷車にのせてもらって 病院へ連れて行ってもらった...」
「おカネに困った時には 闇米を売ってもらって おカネにかえてもらった...」
と 何度も何度もお礼を言われた。
帰ってから母に伝えたけれども 母は知らない、という。
でも、やりそうだね、コマツさんなら。と言って笑っていた。
良いか悪いかは別にして世話好きだったのだろう。
コマツばあさんは人が良すぎて騒動も起こしている。
借金の保証人になってしまって人の借金を背負い込んだのである。
昔の農家がそう儲かるわけでなし、これを返済するのは大変だったらしい。
コマツばあさんは 相当苦労したようだ。
「保証人のハンコはおしたらあかんぞね」と繰り返し言っていたらしい。
よほど懲りたのだろう。
Edited by じゅんか 2010-08-05 23:05:52
Last Modified 2010-08-05 23:08:19