故人を偲ぶ/コマツばあさん(1)
先日書いた記事で思いきり事実誤認をしてしまいました。
読者の皆様 大変大変申し訳ございません。
以後気をつけます....。
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ちょっと私の大ばあちゃん(曾祖母)コマツばあさんについて書きたくなった。
私の実母は 8歳だか9歳だかで実母に死別している。
また、物心ついた時には 病気で寝たきりだったので、母はこのコマツばあさんに育てられた。
どういうわけか 母は 自分の両親のことはあまり印象にないらしい。
思い出というとコマツばあさんである。
私が生まれる前に亡くなっていたので 勿論会ったことはないのだけど、ぜひお会いしたかった人の一人である。
94歳で眠るように息をひきとるまで、一家の中心だった。
田畑の作付けも、冠婚葬祭のこまごまとしたことも 彼女が仕切っていた。
息子の嫁(ウチの母のお母さん)が病気で倒れると、荷車に嫁を乗せて遠い病院まで連れて行ったのは このコマツばあさんだった。
病院のある場所は 相当遠い。
荷物が無くったって、若くたって、覚悟のいる距離である。
そのときすでに髪はまっしろで、歯は一本しかないくらいの老婆だったのに、そんな重労働を男にさせずに自分でしていたらしい。それも一度や二度ではないらしい。
ちなみに コマツばあさんは 最初の結婚で 元夫が違う女を作ってしまい、早々に実家へ帰されている。コマツばあさん曰くは「ワシがぶさいくだったから」らしい。
そして、どういうわけだか コマツばあさんの長男の嫁になった女は この元夫の娘だった。
それが 私の実母のお母さんである。
自分を捨てた男の娘と自分の息子を結婚させる姑も珍しい。
しかしコマツばあさんとこの嫁はとても仲が良く、元気なうちは
「ウチの息子がわがままですまんな、ワシの育て方が悪かった...」と嫁をかばい
病気で倒れてからは 世話をしてやり、
長患いの末、嫁が死んだ時には
「ずっと寝ていても良いから、お前には生きていて欲しかった」と言って泣いたそうである。
不思議なばあさんだったと思う。
Edited by じゅんか 2010-08-05 22:51:18
Last Modified 2010-08-05 23:39:48