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2010-08-05
コマツばあさん(3)
コメント(3)

さて、コマツばあさんの思い出は荷車とともにある。

ウチの母は物心ついた頃には お母さんが寝たきりになっていたので、
手伝いと言えばコマツばあさんの手伝い
でかけるといえば コマツばあさんの荷車にのっかってお出かけだった。

母の思い出を聞いていると、昔の日本って相当なイジメ社会じゃないだろうか。
目の見えない人や耳の聞こえない人がいたら 石を投げていじめたそうである。
母もそれははっきりと覚えている。
特殊な例外だったらいいんだけど。

だから 障がいのある身内や結核にかかった家族が出たら、納屋に閉じ込められていることもあったらしい。

母が荷車に乗せられて行く先は そのような納屋の中である。
コマツばあさんは 結核の××さんのところに食べるものをこっそり運んでいた。

毎日晴れた日にはマサさん(仮名)という知的障がいの人がお手伝いにやってくる。
知的な障がいはあるけれども マサさんは力持ちだったので、晴れた日には沢山仕事を手伝ってくれる。手伝ってくれた人には昼飯が出るので、マサさんはそれを楽しみにしていた。
何しろマサさんは 相当な大食いで、飯だけでも13杯くらい食べる。

しかし雨が降ると手伝える仕事はない。
おなかがすいていても、マサさんは「仕事もしていないのに、飯だけ食いに行く訳にはいかない」と腹をすかして、納屋で寝ている。マサさんもまた、納屋に閉じ込められた人だったのだろう。

コマツばあさんは 雨が降ると 食べるものを荷車に積んでマサさんの納屋に届けた。
母の実家は コマツさんの保証人騒動でビンボウになっていたし、お母さんの病院代もかさみ、全然お金はなかった。働き始めたお兄さんは お母さんの枕元に給料袋を置き、それが全部病院代に消えていた頃のことなのに。

それでもそこは農家のこと、おカネは全然なくても 何とか食べるものはあったみたいです。
うーん、やはりいつの日か 米も作りたいわねえ。



コメント(3)

Edited by じゅんか 2010-08-05 23:36:05
Last Modified 2010-08-06 00:02:58


コメント


障害者を虐めるとか、遠ざけるとか、野生の動物に近かったのかなと思いますね。
動物もそのような行動をしますから。
大変な時代でしたね。

投稿者:ともこ|2010-08-08 09:44:37


ともこさま

ちらりと聞いた話では 家から結核の人が出ると、その家の娘は嫁のもらい手がなかったから.、と聞いたことはありますが....。
盲聾唖の人に石を投げるセンスはわかりづらいですね。

これは 終戦直後のお話で、その頃は 米兵相手のパンパン(売春婦)にも子どもたちは石を投げていたそうです。

これもせつない話です。

投稿者:じゅんか|2010-08-08 14:17:10


米兵駐留中の事は昔の小説で少し読んだ事があります。
やるせない、ドロドロした時代だったのですね。

投稿者:ともこ|2010-08-09 09:03:50




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